「山の市・海の市」由来ばなし昔々、このあたりが安芸高田の國とよばれよった頃。 ここらは山陰と山陽の中間にあり、石見銀山ともつながる重要な交通の要衝であったことから、旅人や荷物を管理する「関」と、旅の往来を支援するための「宿駅」を兼ね備えた「北の関宿」が誕生したのじゃ。 「北の関宿」にはたくさんの荷物が集まり市がたつようになったが、なかでも一番の名物は「海産物の干物」じゃった。こんな山深いところで海のものとは不思議じゃろうが、それには理由がある。 安芸高田はおいしい米と野菜に恵まれていたため、街道を通じて山陰や山陽へと送り出していた。そのかわりに浜田や尾道の港などから海の幸を仕入れて持ち帰っておったが、その頃はまだ冷蔵などないから、魚は日干しや塩漬けにして送るしかなかったんじゃ。干物が積まれた荷車が「北の関宿」めざして頻繁に山道を往来するようになると、人々は石見から尾道へとつながる石見街道のことを別名「ひもの街道」と呼び、ここの市場でひものを売るようになった。 そして、地元の朝採れ野菜とそのひものを売る市場として「山の市・海の市」と呼ぶようになったのじゃ。 「山の市・海の市」は広く知られるようになり、まわりのほうからもどんどん人が買い集まるようになってきた。そうなると山陰や瀬戸内ばかりでなく、遠く東京や阿波からの海産物も届くようになった。 そうした賑わいが、今に伝わってきたというわけなのじゃ。 |